bannai452007-09-29

■Peter Gallway / Peter Gallway (1972)■
2002.4.20 (Sat) 発行


70年代の最初の数年間、アメリカを中心に自作自演のシンガー・ソングライター(SSW)の静かな音楽がブームを呼ぶ。それまでのロックとは一線を画す、私的で内省的な詞の内容が、聴衆の心を捕えることになった。この時代を代表するアーティストのごくごく一部を紹介しておくと、ジェイムス・テイラーキャロル・キング、ジョ二・ミッチェルなど。彼らの楽器の構成はいたってシンプル。そのシンプルさに癒しを見出し、そして共感。60年代後半、ロックが最も熱かった時代とは対照的な70年代前半のSSWたちのパーソナルな音楽は静かなブームを呼ぶ。世界は癒しを求めていたのかもしれない。あたかも疲れきった体を休めるかのように。

まず口火を切ったのはジェイムス・テイラーだ。1970年9月「ファイアー・アンド・レイン」が全米3位を記録。さらに翌71年5月にはキャロル・キングの「イッツ・トゥー・レイト」が全米No.1を獲得。この曲を収録したアルバム『つづれおり』は、全米アルバムチャートで15週連続(約4ヶ月)ものあいだNo.1を記録するメガヒットに。

表舞台で広告塔になり大きな活躍をしたのは彼ら。いわゆる「売れたSSW」だろう。しかしその陰に隠れ、ヒットとはおよそ無縁だったSSWはそれこそ星の数ほど存在する。今回紹介するピーター・ゴールウェイもヒットには恵まれなかったものの、根強いファンは多い。何より彼の才能は超が付く一級品なのだから。

1947年、ニューヨークはロングアイランドに生まれたピーター・ゴールウェイ。10歳の頃にはグリニッチ・ヴィレッジに移り住み、60年代半ばからヴィレッジのフォークシーンでその活動を開始。1969年にはフィフス・アヴェニュー・バンド(以下FAB)というグループでレコードデビュー。アルバム1枚を制作したそこからシングル2枚をカットするもヒットには至らなかった。プロデューサーはラヴィン・スプーンフルを手掛けていたエリック・ジェイコブセン、さらにジェリー・イエスター、おまけにスプーンフルのメンバーであるザル・ヤノフスキーということもあり、彼らの弟的グループとして認識され、そのサウンドはスプーンフルをより洗練させたサウンド。60年代最後のグッド・タイム・ミュージック、ともいうべき彼らの音楽はシュガーベイブ時代の山下達郎氏も大きな影響を受けたという。

一部の音楽ファン、評論家らの支持はあったものの、FABはこのアルバム1枚で解散してしまう。ソロとなったピーター・ゴールウェイは1971年にアルバム『オハイオ・ノックス』をオハイオ・ノックス名義で発表。ダラス・テイラーやポール・ハリスといった西海岸のプレイヤーたちを従えた、実質的なソロデビュー作。オハイオ・ノックスとは彼のニックネームで、「オハイオ」とは「こんにちは」というような意味で、ソロデビューしたピーター・ゴールウェイの挨拶状のようなもの。展開される音楽はFAB時代よりも泥臭くファンキーなギターワークが随所で聴くことができる。FAB時代の名曲「カラミティ・ジェーン」の再演、スワンピーな「ベイビー・ソックス・ノックス」、FABの前身バンド、ストレンジャーズ時代に唯一のシングルとして発表していた「ランド・オブ・ミュージック」など名曲多数。

そして翌72年。『ピーター・ゴールウェイ』を制作、発表。アルバム冒頭の「ウォッチ・ユアセルフ」は泥臭いスライドギターが絡み、前作からの流れを感じるがアルバム全体は実にデリケート。彼の人間性を吐き出したかのような歌詞、シンプルな楽器編成。あくまでも中心は彼の歌とギター。ヒッチコックの『裏窓』が歌詞に出てくる「ディサイディドリィ・ファン」、FABの「グッド・レイディ・オブ・トロント」や上品な「トゥエルヴ・デイ・ラヴァー」、「ハーモニー・グリッツ」、「ユー」などこれぞ名曲の宝庫。なかでも堪らなく好きなのが「カム・オン・イン」。何度聴いてもいつ聴いても胸を打たれてしまう1曲。若かりし頃、60年代のピーター・ゴールウェイはヴィレッジに出入りしていたジェイムス・テイラーとも親交があり、またお互いをライバルとして意識しあっていたという。この2人に共通するのは黒人音楽への敬意。独特のリズム感、コード進行、「カム・オン・イン」ではそれが如実だ。厳かな情熱、あるいは静かなる狂気、がここにはある。

そしてアルバムジャケット。髭をたくわえ眼鏡をかけた横顔。これだけで十分。「あの時代」を象徴している。1998年の再発盤では彼自身が寄せたライナーノーツでこう語っている。

「黒と白と茶。シンプルにして、真実」

真実が詰め込まれたこの名盤、貴方は信じますか?