bannai452007-10-02

■街行き村行き / 西岡恭蔵 (1974)■
2002.5.20. (Mon)発行


5月になると、必ず聴きたくなる1枚のアルバム。西岡恭蔵の『街行き村行き』が、それだ。大阪では春の恒例イベントとしておなじみの「春一番コンサート」が今年も開催された。1971年に第1回目が行なわれ、当時からの中心メンバーのひとりだった西岡恭蔵。ファンは彼のことを「ゾウさん」と呼ぶ。


下町を教えてやろうか
六番街から西行きのバスに乗って
終点まで行ってごらん
ガードをくぐって小っちゃなタバコ屋を
右に曲がって5分ほど歩いてごらん
楽しいたまり場 下町のディランがあるからよ


1969年8月15日、大阪は難波元町の国道26号線沿いに「喫茶ディラン」が開店する。わずか4坪半の敷地にカウンターと椅子とテーブルを並べただけのその喫茶店は、15人も入ればもういっぱいだったという。ディランの初代店長は"大塚まさじ"。店名のディランはもちろんボブ・ディランからとられたものだ。店のBGMはそのボブ・ディランを筆頭にピート・シーガージョーン・バエズ、ピーター、ポール&マリーなどの60年代初頭のアメリカンフォーク。珈琲1杯100円。その100円で1日中居座る若者が何人もいた。そこには西岡恭蔵の姿もあった。

古いレコードが流れる喫茶ディランは、誰が言い始めたわけでもないのに定期的にライヴを行うようになる。1年もすると関東からも若手ミュージシャンたちが噂を聞きつけて店に足を運び始める。高田渡遠藤賢司友部正人などアングラなメンツだが、たしかに当時の日本の音楽シーンには必要不可欠なメンツ。才能溢れる若きアーティストたちのたまり場であった。

定期開催されていた小さなスペースでのライヴが軌道に乗りつつあり、常連のひとり"福岡風太"が規模を拡大させた「春一番コンサート」を天王寺野外音楽堂での開催を企画した。第1回は1971年のゴールデンウィーク天王寺で開催された「第1期春一番」はその後1979年まで続き、当時のフォーク系シンガーから小坂忠、ごまのはえなどのロック系も多数出演が実現している1972年の第2回の模様を収めた2枚組LPは僕の宝物のひとつだ。

70年代初頭の頃ならいざ知らず、あの空気を保ったままテクノ旋風寸前の1979年までよく続いたものだと思う。1979年に一度ピリオドを打つも16年後の1995年に復活。天王寺から服部緑地音楽堂に場所を変えたものの、愛聴したLPと同じ空気が流れる場所だった。日本のウッドストックは生きていた。

西岡恭蔵がアルバム『ディランにて』でデビューしたのは1972年。もちろんアルバムタイトルは「喫茶ディラン」から付けられた。ここには日本ポップス(フォークではない)の名曲のひとつ「プカプカ」が収録されている。ジャズシンガーである安田南をモチーフにして書かれた「オレのあん娘は煙草が好きで〜♪」の歌い出しでお分かりだろう。間奏のビューティフルで小気味良いピアノソロは吉野金次。

2枚目のアルバムとなる『街行き村行き』を発表したのは1974年。共同プロデュースには細野晴臣がクレジットされている。『ホソノハウス』の翌年に『街行き村行き』という構図は、遡ること3年、1971年の小坂忠の『ありがとう』とはっぴいえんどの『風街ろまん』の細野作品との構図によく似ている。表裏一体とはこのこと。「春一番コンサート」のテーマソングだった「春一番」を始め、タイトルだけでその世界が想像できる「村の村長さん」や「ひまわり村の通り雨」、他にも細野晴臣が編曲を担当した楽曲にはラグタイムの要素も窺える内容。長らく廃盤状態が続くのが残念でならない(2007年夏に単体アルバムとしてようやく再発)。

ゾウさんの魅力とは何なのか?朴訥としたその声に惹かれる人もいるだろう。僕も大好きだ。しかしここでは詩の世界に注目したい。繊細、人情、ということばが似合うその世界。サーカスやピエロということばもよく登場する。ひとところの場所におさまらないサーカス団というものに、自分の感情を移入させていたという。次作『ろっかばいまいべいびい』にはサーカスものの集大成ともいうべき「ピエロと少年」という傑作が収録されている。歌詞は見事なまでの起承転結、トーキングスタイルによる弾き語りはラジオドラマ、あるいは古典落語を聴いているかの如く聴き手の耳と心をとらえる。

1999年、突然の訃報にファンは呆然とした。
4月3日、作詞家であり伴侶でもあった"KUROちゃん"を癌で前年に亡くしたゾウさんは彼女の後を追うかたちで自殺。没後1年のときは僕が担当していたラジオ番組で1ヶ月にわたって大々的に追悼特集を組んだ。今だから言えるが感情を込めすぎて最終週には涙を流す寸前までの状態だった。「喫茶ディラン」があったであろう場所に巡礼を行ったのもこの時期だった。

追悼ということだけでこの季節に頻繁に聴いているわけではない。温かい彼の音楽は春の季節によく似合う、そういうふうに思っている。30数年前、大阪の下町から始まったひとつの伝説。難波元町は大阪の、いや日本のグリニッチ・ヴィレッジだったに違いない。

街行き村行き (紙ジャケット仕様)

街行き村行き (紙ジャケット仕様)