bannai452007-10-03

■What's Shakin' / V.A. (1966)■
2002.6.5. (Wed)発行


あの良き時代の音楽とともに
遠い昔、俺達が演奏したように
知らないのかい
あのグッドタイムミュージック
そうさ、今ラジオでかかってるやつさ


ラヴィン・スプーンフルの中心メンバー、ジョン・セバスチャンがこの「グッド・タイム・ミュージック」を作ったのは1966年のこと。もうお気づきだろうが、このフリーペーパーのタイトルはここから拝借させていただいた。

60年代中期、アメリカでは自国に乗り込んできたビートルズに触発され、幾多のバンドが登場した。バーズやサイモン&ガーファンクルタートルズ、ボー・ブラメルズ、ヤングブラッズ、そしてラヴィン・スプーンフル。彼らの音楽はそれまでのアメリカにはなかった"フォークロック"として認識され、そして広がりをみせた。フォークミュージックとロックの融合、という安直な解釈では収まりきらない彼らの音楽性、特にスプーンフルのそれは当時のどのグループと比べてみても、明らかに異質だった。ブリティッシュのビートグループに影響を受けながらも、そのサウンドからはジャグバンドミュージックからブルーグラス、ブルース、フォークなど実にアメリカ的。伝統的なアメリカンミュージックがブレンドされたオリジナリティー溢れるのがスプーンフルの魅力のひとつである。

ラヴィン・スプーンフルは1965年のニューヨーク、ジョン・セバスチャン、ザル・ヤノフスキー、スティーヴ・ブーン、ジョー・バトラーの4人で結成された。デビュー曲「魔法を信じるかい」が65年全米9位を記録するやいなや、翌年の「デイドリーム」が2位、「サマー・イン・ザ・シティ」は67年は見事1位を獲得。他にも「心に決めたかい」や「ナッシュヴィル・キャッツ」など枚挙に暇がない。それにグループ名だ。「ひとさじの愛情」というこの素敵なネーミングセンス。ジョン・セバスチャンがかつて共演したことのあるブルースシンガー、ミシシッピジョン・ハートの「コーヒー・ブルース」の一節から取られたものだ。名付け親はジム・クエスキン・ジャグ・バンドのフリッツ・リッチモンド

デビューから大きなヒットに恵まれ、さらには2本の映画音楽を担当するなどスプーンフルは活動の場を広げながらも、しかしそれだけでは飽き足らなかったのか、絶頂期の66年に今回紹介する『ホワッツ・シェイキン』にも参加している。1966年といえばビートルズが日本に上陸し武道館公演を行い、『ラバーソウル』と『リヴォルヴァー』を発表した年。ストーンズは全曲オリジナル作品で占められた『アフター・マス』を、クリームのデビュー、かたやアメリカではビーチボーイズが渾身の力作『ペットサウンズ』を、そしてボブ・ディランは『ブロンド・オン・ブロンド』を発表。激動の1966年。そして翌年から始まるブルースロック、ホワイトブルースの大波を一早く察知していたのが、この『ホワッツ・シェイキン』だ。ポール・バタフィールド・ブルース・バンド、アル・クーパーエリック・クラプトン&パワーハウスなどが録音したここでしか聴けない音源が集められている。そんなメンツのなかでスプーンフルは一見軟弱に見えるかもしれないが、実は彼らが主役といっても過言ではない。事実、オムニバス盤であるにも関わらずジャケットにはスプーンフルのみを起用していることからも察することができる。オリジナルアルバムでもブルースナンバーを独自の解釈で披露しているが、ここでの彼らはいつも以上にワイルドだ。はっちゃけぶりが可愛くもたくましさを感じるプレイの数々。オリジナルアルバムと棚に収めたいのが『ホワッツ・シェイキン』。

ラヴィン・スプーンフルがデビューを果たしてから37年。デビューライヴはグリニッチ・ヴィレッジのナイト・アウル・カフェで行われ、ボブ・ディラン、バーズのロジャー・マッギン、そしてかのフィル・スペクターも駆けつけたという伝説のデビューライヴ。この日こそ音楽の魔法が放たれた瞬間だ。

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