bannai452007-10-08

■Bobby Charles / Bobby Charles (1972)■
2002.10.05. (Sat)発行


個々が思う、感じる居心地のいい場所、というものは誰しも持っていたいもの。例えば自宅のレコード部屋や楽器を鳴らす部屋、あるいはおいしい料理が食べられる店。ことロック界において居心地のいい場所となると僕はまずウッドストックを思い浮かべる。60年代半ばから70年代半ばまで、ウッドストックは芸術家やミュージシャンたちの隠れ家となり、良質な音楽が数多く生まれた街であった。ニューヨーク北部に位置する山奥の田舎町、ウッドストック。70年代前半、ひとりの男がルイジアナからやってきた。

彼の名はボビー・チャールズ。本名:ロバート・チャールズ・ギドリー。1938年2月21日、ルイジアナ州アビーヴィル出身。アビーヴィルはニューオーリンズの西200km、バイユー・カントリーのど真ん中に位置する。ボビー・チャールズは10代前半から地元のローカルバンドで歌い始め、ハイスクール時代には近所のレコード店の店主がチェス・レコードに彼を推薦したことからその長いキャリアをスタートさせることになった。しかしチェスは黒人専門レーベルで、ボビーは白人であった。

ある日、ボビーはシカゴにいるチェス・レコードの社長、レナード・チェスに電話をする。その電話口で自作の「シー・ユー・レイター・アリゲーター」を歌った。それを受話器で聴いたチェスは即レコーディングの契約を交わした。ブルースを得意とするチェス・レコードが白人であるボビーと契約した理由は簡単だった。チェスが電話でのやりとりだけで聴いたボビーの歌声は黒人と思い込んだためだった。ボビーが白人離れした声の持ち主であったことを証明する逸話だろう。そしてボビーのチェス入りは黒人レーベルと契約を交わした初の白人アーティストの誕生でもあった。1955年のことだ。

ボビーはその後3年間チェスに在籍し、シングル7枚を発表。自身の大きなヒットこそなかったが「シー・ユー・レイター・アリゲーター」は後にビル・ヘイリーが取り上げヒットしている。チェスを離れたあと、1958年にはインペリアル・レコードに移籍。表舞台での活躍には縁がなかったが作家活動だけは継続し、「ウォーキング・トゥ・ニューオーリンズ」はファッツ・ドミノが、「バット・アイ・ドゥ」はクラレンス・ヘンリーがそれぞれヒットさせるなど、50年代後半のニューオーリンズR&B黄金期を支えるスタッフのひとりであった。

60年代半ばから後半、ニューオーリンズR&B黄金期も終焉に向かう頃、仕事の少ないボビーはドラッグに溺れ、軽犯罪に問われ1971年まで保護観察処分を受けてしまう。苦痛を味わったボビーは友人とニューオーリンズを離れ、北へ向かう。言うまでもなくウッドストックへ向かい隠遁生活を送り始めた。当時のウッドストックには隠遁生活の先輩もいた。1966年に交通事故のためウッドストックで静養していたボブ・ディラン。ディランの隠遁をきっかけにザ・バンドがそれに続き、ジョン・サイモンやピーター・ヤーロウが、トッド・ラングレンが、亡命したジェシ・ウィンチェスターが、アルバートグロスマンがベアズヴィル・レコード設立、などウッドストックを拠点とするアーティストやスタッフの動きが活発化し始める。R&Bやカントリー、ブルースといったアメリカ音楽の根幹要素をもう一度見つめ直し、独自の解釈によって再構築することによって、アメリカの伝統に根ざした音楽が創られていく。南部人ボビーにはまさにうってつけな環境であった。ディランのマネージャーでありベアズヴィルの設立者、アルバートグロスマンとの出会いがレーベルとの契約につながり、すぐさまベアズヴィル・スタジオでの『ボビー・チャールズ』のレコーディングが始まる。1971年が終わろうとしている頃のことだ。レコーディングのプロデューサーはボビー自身とザ・バンドのリック・ダンコ、そしてそのザ・バンドのプロデューサーでもあったジョン・サイモンを迎え、バックにはロビー・ロバートソンを除くザ・バンドの面々、他にも同郷のDr.ジョン、エイモス・ギャレット、ジェフ・マルダー、そして当時のボビーには心の支えともいうべき存在だったビル・キースなど、ウッドストック・オールスターズが顔を揃えた。

彼らのサポートはこの時期が頂点ともいうべきプレイの数々をレコードの溝に残してくれている。70年代前半のメイド・イン・ウッドストックは限りなく透明に近いブラウンだ。音楽をこよなく愛するピュアな心を持った人間が奏でるよどみのない木製の響きと土の香り。『ボビー・チャールズ』はその全てがパッケージされているだろう。全ての楽曲に彼の魅力と人間性が滲み、そして溢れている。とりわけ「アイ・マスト・ビー・イン・ア・グッド・プレイス・ナウ」は歌詞、サウンドともにそれが如実だ。そして希代の名曲「スモール・タウン・トーク」もここで聴ける。

だた、残念なことにアルバムが発売された直後にボビーはグロスマンと仲違いし、ベアズヴィルの発売元であるワーナーも一切のプロモーションを行わなくなった。当然アルバムの売り上げ見込みもなく早々に廃盤となってしまう。当時の日本でも国内盤など発売されるはずもなく、一部のマニアが数少ない輸入盤を手に入れ、相当なプレミア価格が付いたという曰く付きの名盤であった。現在では手軽にCDで入手できるのでそちらをオススメすることは言うまでもない。ただし、LPサイズの『ボビー・チャールズ』を目にしてしまうとつい手が伸びてしまうほど魅惑的ではあるが。湖のほとりでゴールデン・レトリバーとたわむれたくなるはずだ。

気ままでのんびり屋のボビー・チャールズがぶらりと立ち寄ったウッドストック。そこで生まれた1枚のアルバムは30年以上経った今でも愛されている。
「I must be in a good place now」
というフレーズがボビー・チャールズの、このアルバムの全てを物語る。

貴方にはそんな居心地のいい場所はあるだろうか?


Bobby Charles

Bobby Charles