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■Gene Clark / Gene Glark (1971)■
2002.11.20. (Wed)発行


ビートルズが1968年に発表したアルバム『ザ・ビートルズ』はジャケットが真っ白なところから『ホワイト・アルバム』と呼ばれている。ザ・バンドの2作目は『ブラウン・アルバム』、はっぴいえんどの『ゆでめん』など、正式タイトルよりも通称名が有名になることがしばしばある。今回紹介する元バーズのジーン・クラークのソロアルバムも原題は『ジーン・クラーク』だが、当時から『ホワイト・ライト』という呼び名で親しまれている。

1941年、ミズーリ州ティプトン生まれのジーン・クラーク。1960年代半ば、アメリカを襲ったハリケーン、ともいうべき「ビートルズ旋風」に真正面から対抗したフォークロック・グループ、ザ・バーズのオリジナルメンバーのひとりだった。ロジャー・マッギン、クリス・ヒルマン、デヴィッド・クロスビー、マイケル・クラーク、そしてジーン・クラークという5人編成でスタートしたバーズは、デビュー曲「ミスター・タンブリン・マン」が1965年全米No.1を記録する。バーズの快進撃はグループのスタートと同時に始まるが、クラークが在籍したのは1年余り。リーダーのロジャー・マッギンとの対立が絶えなかったことが原因のひとつだという。バーズ時代、クラークは決して目立つ存在ではなかったが、ソングライティングの面では他のメンバーを凌いでいた。オリジナリティーを探求する力に長けていた。それを証明するのは脱退後のソロ活動だった。味わい深いヴォーカルはディラン譲りだが、単なるコピーなどで終わらない。

1967年、ソロデビューを果たしたクラークは自身のルーツであるブルーグラスやカントリーなどの感覚を強めた作品を発表し、翌年には同じミズーリ出身のブルーグラスグループ、ディラーズのバンジョー奏者、ダグ・ディラードとともにディラード&クラークを結成、アルバム2枚を残した。ブルーグラスとロックの融合を図ったデュオであったがその活動期間は長期には至らなかった。

この時期のジーン・クラークの功績のひとつとして挙げておきたいのは、やはりソングライターとしての才能だ。当時のL.A.周辺のカントリーロック・シーンに大きな影響を与え、後に多くのカバーが生まれている。僕のフェイヴァリットはイーグルスが取り上げた「今朝発つ汽車」だ。初期イーグルスを支えていたバーニー・リードンがリードをとった名曲中の名曲。イーグルスのデビュー盤にひっそりと収録されているが、その存在感はたしかにある。

70年代に入ると、西海岸ではバーズの後輩ともいうべきイーグルスの活躍、アメリカ全土を見渡すとシンガー・ソングライター時代がいよいよ幕を開け、ジーン・クラークのようにフォークやカントリーをルーツとする歌手がシンプルな自作自演の路線へとシフトを変更させた。1971年、クラークはソロとして2作目となる『ジーン・クラーク』を発表する。前述のように『ホワイト・ライト』と呼ばれるのは、発売前、所属していたA&Mレコードのリストに「ホワイト・ライト」と記されたことが発売後に熱心なファンの間で話題になったことと、アルバムジャケットと収録曲「ホワイト・ライト」のイメージが見事に合致したため、当時から現在まで、『ホワイト・ライト』の名で親しまれている。バーズ・フリークが世界一多いと言われるイギリスでは特に評価が高く、またあオランダの評論家たちはこのアルバムを1971年度のアルバム・オブ・ザ・イヤーに選んだほどだった。

クラークの書く作品に派手さはないが、スルメのように噛めば噛むほど味の出るものが多い。「ヴァージン」、「ホワイト・ライト」、「ワン・イン・ア・ハンドレッド」などで伝わるはずだ。他にもボブ・ディランザ・バンドのリチャード・マニュエルの共作曲「怒りの涙」(ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』収録)をカバーしているが、実にこの人らしいスルメなカバーだ。そしてこのアルバムの立役者ともいうべき人物が、プロデュースとギターを担当したジェシエド・デイヴィス、その人だ。全編にわたってエレクトリック、アコースティック、ボトルネックを巧みに使い分ける。ジェシならではの無骨と繊細が同居するプレイを堪能できる。特に「1975」のエンディングでのソロなど実にたくましい。

この時期、西海岸出身のシンガー・ソングライターたちは南部志向の強いアルバムを制作することが多くなった。西海岸産の南部志向音楽は「L.A.スワンプ」と呼ばれ、レオン・ラッセルやマーク・ベノの諸作も忘れられないが、その口火を切ったのが他でもない、ジーン・クラークの『ホワイト・ライト』だ。

ジーン・クラークはその後もアルバムを発表するが商業的成功を収めることなく、1991年に心臓発作のため帰らぬ人となってしまう。享年49歳。あまりにも早すぎる死だった。

バーズ最初の脱退者、憂いを含んだ顔立ち、そんなところから一匹狼的なイメージが強いジーン・クラーク。彼は多分無口なタイプだっただろう。無口が故に野心家だったかもしれない。ひとりの時間を大切にしていたはずだ。と推測は尽きないが、1枚のアルバムからそのアーティストの人間性を探る、これも音楽の楽しみ方のひとつかもしれない。

チャートに記録を残すことも重要だが、ジーン・クラークのように我々の記憶に残るアーティストがいることも忘れてはならないだろう。

Gene Clark

Gene Clark