bannai452007-10-23

■I Am My Brother's Keeper / The Ruffin Brothers (1970)■
2003.7.5. (Sat)発行


メンフィスにはオーティス・レディング、サム&デイヴ、O.V.ライト、ジェイムス・カーらがいた。アラバマにはクラレンス・ホワイトやキャンディ・ステイトン。シカゴにはカーティス・メイフィールドダニー・ハサウェイが。フィリーはデルフォニクスにオージェイズ。ニューヨークにはソロモン・バーク、カーネット・ミムズ。モーターシティ、デトロイトにはスモーキー・ロビンソンマーヴィン・ゲイ、スティーヴ・マンチャ、ダレル・バンクス。アメリカ各都市に点在混在存在する偉大なソウルシンガーたち。僕の好きなシンガーのなかで忘れられないひとりが、デヴィッド・ラフィンだ。ミシシッピ州に生まれながら幼い頃にデトロイトに移り住んでいる。南部からデトロイトへ。これが大きい。そして兄のジミーもグレイトだった。

ジミーとデヴィッドのラフィン兄弟は、60年代のモータウン黄金期を支えた実の兄弟だ。弟のデヴィッドはテンプテーションズの第1期リードシンガーとして「マイ・ガール」や「エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベッグ」など数多くのヒットを歌ってきた。力強く深みのあるバリトンヴォイス。ゴスペルの筋金が入ったスタイルが実に魅力的だったが1968年、デヴィッドはテンプスを脱退しソロシンガーの道を歩み、同年「マイ・ホール・ワールド・エンデッド」がスマッシュヒット。同タイトルのアルバムはソロ時代の中でも屈指の名盤としての評価を得ることになった。一方の兄ジミーは弟に少し遅れをとったが、テンプスのメンバーの推薦で1962年にモータウンに入社。デヴィッドとは対照的な優しく柔らかい歌いぶりには独特の表情があり、「ホワット・ビカムズ・オブ・ザ・ブロークン・ハーテッド」などのヒットがある。

兄弟がこのアルバムジャケットのように肩を組むのは1970年のことだった。モータウン傘下のソウル・レーベルから発表された『アイ・アム・マイ・ブラザーズ・キーパー』。兄弟の絆。素晴らしいタイトルだ。アルバムはそんな絆を象徴しているかのようなホリーズの「兄弟の誓い」からスタートする。他にもカバー曲が多く、ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」、デルフォニクスの「ディドント・アイ」、タイロン・デイヴィスの「ターン・バック・ザ・ハンズ・オブ・タイム」などソウルヒットが中心ながら、ジェイムス・テイラーの「ロー・アンド・ビーホールド」などもある。白人黒人の垣根を越えた、SSWムーヴメントとニューソウル・ムーヴメントの迎合ともいうべき選曲だ。

異論を覚悟で書かせてもらうと、僕のベストトラックはデルフォニクスのカバーである「ディドント・アイ」だ。原曲への思い入れもある。デルフォニクスはフィリーソウル黎明期から活躍する素晴らしいヴォーカルグループだ。リードのウィリアム・ハートのカシミアヴォイスとも言うべきファルセットが魅力で何とも艶やかな世界を繰り広げた。フィリーソウル界屈指の実力を誇る。このアルバムでは弟デヴィッドがリードをとり、パワフルなバリトンヴォイスで歌い上げる。そこに絡む兄ジミーの柔らかいコーラス。堪らない。カバー曲以外ではミディアム〜アップの曲が中心で、ダイナミックという言葉がよく似合う。

ジミーとデヴィッドのラフィン・ブラザーズ名義のアルバムとしてはこれ1枚きりとなった。現在もCD化されていない、という不遇の名盤だ。手に入りにくいものをここで紹介するのはあまり好きではないが、このアルバムだけは別格であるということと、いずれ、近い将来、世界初CD化されることを願って今回は取り上げさせていただいた。中古レコード屋でもあまり出会うことがないが、探してみる価値はある。

ウルマニアは良質なアルバムや楽曲を"名盤"や"名曲"という表現を避けたがる。そのかわりに"キラー"や"モンスター"とそれらを呼んだりする。ラフィン兄弟唯一のアルバム『アイ・アム・ブラザーズ・キーパー』は間違いなく"キラー・アルバム"だ。