bannai452007-11-19

■Reverend Ether / Ronnie Barron (1971)■

ロニー・バロンという人が僕は大好きだ。「Dr.ジョン」と名乗っていたかもしれない男だった、というのは以前に触れたかと思うが、脇役のいぶし銀俳優的佇まいがたまらなく愛おしい。『ガンボ』のような世紀の名作を自身で残したわけではない。しかし、『ガンボ』につながる絶妙なスルーパスを出せるのがこの人の技だ。匠(たくみ)ということばが似合う。71年のアルバム『レヴェレンド・イーザー』は僕の宝物のひとつである。

ロニー・バロンの存在を知ったのは、やはり日本ロック周辺を聴き始めた頃だ。キャラメル・ママティン・パン・アレーのセッションワークを集めていた頃、ロニー・バロンの『スマイル・オブ・ライフ』という名盤がある、ということを知り、勇んで中古レコード店に行くもあるはずがなかった。仮にLPがあったとしてもとんでもない値が付けられ涙を飲んで帰るしかなかっただろうが。しかしVIVIDから限定生産でCD化されている、ということでその後大型CDショップを何軒もまわったと記憶している。

ザ・バンドを始まりとしてウッドストック産の音楽に夢中になった頃、再びロニー・バロンに出会った。エイモス・ギャレットの星屑ギターが聴きたくてポール・バタフィールズ・ベター・デイズのアルバムを買うと、キーボードとヴォーカルでロニー・バロンの名前がクレジットされていた。ボビー・チャールズといいウッドストックニューオーリンズの親密な関係性が楽しくて仕方がなかった。

Dr.ジョンの『ガンボ』直前の『ガンボ』というべき名作。という文章を読むたび、ロニー・バロンのソロデビュー作『レヴェレンド・イーザー』を聴きたくてたまらなかった。これまで一度もCD化されていない入手困難な一枚は探せど探せど見つからない。結局2001年のユニバーサルの「名盤の殿堂」シリーズまで待つことになったが、その内容は素晴らしいものだった。71年というとシンガー・ソングライター・ムーヴメント、スワンプロック、カントリー・ロックの時代。翌年には『ガンボ』が生まれさらにごった煮状態のアメリカ音楽が展開されていく時期だ。『レヴェレンド・イーザー』の録音はおそらくL.A.のスタジオミュージシャンや一部地元のミュージシャン(Dr.ジョンなど)がバックアップしているということなのだが、なるほど、その程よい折衷感覚がこのアルバムのテイストを決定付けている。ギンギンのニューオーリンズ臭だけではなく、L.A.スワンプ臭もある。実はジェシ・デイヴィスが参加している、と言われても違和感がない(そんなクレジットはないが)。

コロコロと転がるピアノ、シンコペーションの効いたリズムを重視したアップナンバーでぐいぐいとひっぱられる。一連のニューオーリンズ・ファンクの名作はやはりリズムを強調したものが多い。ファンクと呼ぶのだからそれは当然か。しかしロニーの場合はそこにバラードを盛り込む。伸びやかで粘りのあるゴスペルの影響が窺えるヴォーカル。ヴォーカリストとしては当時のニューオーリンズ出身者としては頭二つ分くらい突出しているのではないだろうか。アルバム後半の「ハッピー、ハッピー、ハッピー」から「レット・イット・シャイン」の流れが特に素晴らしい。他にもベター・デイズで再演した「ルイジアナ・フラッド」のオリジナルはここで聴ける。プロフェッサー・ロングヘアの「ビッグ・チーフ」を下敷きにした「デューク・オブ・クレンショウ」はゴキゲンだし、ラストの「エイティーン・シックスティ・トゥー」のグルーヴにはひれ伏すしかない。

カバーのオンパレード『ガンボ』、オリジナルのオンパレード『レヴェレンド・イーザー』。どちらにも共通するのは彼の地への愛情と敬意であることは間違いない。コインの表が『ガンボ』ならば、裏は『レヴェレンド・イーザー』である、と。この2枚には深い絆を感じずにはいられない。