bannai452007-11-07

■Last Album / rallypapa & carnegiemama (YDCD-103)■
タイトルだけではぞっとする。が、リトル・フィートの『ラスト・レコード・アルバム』のような冗談だった。ラリーパパはこのあとも精力的に活動を続けたわけだから。しかしそれはあと3年と続かなかったにしても、彼らは彼らの音楽を純粋に奏で続けた。

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2003年の秋から冬、僕はアマチュアバンドに毛が生えたようなグループのマネージャーみたいな仕事をしていた。名古屋でライヴをするとなれば彼らをバンに乗せて高速を飛ばしたし、そこから東京へ行き取材を受け、その夜に大阪へ戻りスケジュール管理やラジオ出演など、とりあえずあくせくと仕事をしてはいたが、はっきり言うとそのグループのマネジメントらしいことをした覚えがない。するほどのことが大してなかったとも言えるし、する必要がなかったとも言える。いや、最大の理由はそんな仕事をしたくはなかったのだ。オトナの事情とやらがこの世に存在するならば、そういう事情もあった。そして生活のためと言えど、低収入だった。

彼らには申し訳ないが、毎日が苦痛の連続だった。僕はくすぶっていた。大いにくすぶっていた。好きな音楽を聴く余裕すらない。そんな精神状態で半月ほどの東京出張。向こうのスタジオでアルバム制作を行うためだった。ビジネスホテルとスタジオを行ったり来たりの生活。毎日昼過ぎから朝方4時頃までスタジオにこもり、終了後は必ずラーメン屋に行った。それもスタッフ、バンドのメンバー総動員で。ホテルに帰る頃には日が昇っている。次の日も(というよりその日の昼だ)スタジオに入るから眠らなくてはならない。ひとりの時間がない。これは僕にとって苦痛以外なにものでもない。

唯一のオフ、僕はスタッフから東京観光の誘いを受けたがもちろん断った。偶然にもその日はラリーパパのアルバム『ラスト・アルバム』の発売日だった。こんな日を逃すほど僕は馬鹿じゃない。とりあえず新宿のタワーレコードへ出向いた。フロアに到着し『ラスト・アルバム』を手に取る。せっかくだから他にも物色したり、もう少しここでリラックスしようとも思った。しかし手元にある『ラスト・アルバム』を今すぐ聴きたくてしかたがなかった。試聴機にも入っていたが気分じゃなかった。すぐに会計を済ませ、近くにあったビックカメラへ行き、迷わずCDウォークマンを買った。新宿の路上で黄色い袋からCDを出しセットする。好きな音楽が流れ始めた。顔がほころぶのが自分でもわかる。新宿のど真ん中でニヤニヤしている若者は気持ち悪かっただろうが、足取りが軽やかになる。僕の心が、体が、満ちていく。25分26秒の音楽トリップ。

そしてまた翌日から例の生活サイクルが始まる。昼過ぎにスタジオ、早朝にホテル帰り。しかしその日から1日の終わりには必ず『ラスト・アルバム』を聴いてからベッドにもぐり込むようになった。それで救われる気持ち、だ。

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極めて私的だが、このように『ラスト・アルバム』には苦く切ない思い出がある。アルバムの中身とは一切関係性がない。ただ、聴くたびに当時の辛かったことを思い出してしまってあまり聴きたくない、というようなことは、無い。あるわけがない。珠玉の名曲たちがそんな感情を軽々と場外へと放りやるのだから。

『ラスト・アルバム』はカントリーボーイたちが大都会へ出てきて、ルーツミュージックに根ざしながらも洗練された都会のエッセンスを散りばめたかの如く、田舎と都会を行き来している。出色は「枯れ葉のブルース」だろう。シティ感覚溢れる小粋な楽曲。ガンホのアコースティックギターが絶妙のリズムを刻み、さらに完璧なフレーズを聴かせてくれる。チョウのヴォーカルも今までにはなかったソフトな手触りで新鮮だ。そのまま曲間の隙間なしでアーシーな「どこへ行こう」へと流れていく。ホーンセクションとして大阪モノレールがゲスト参加。アルバムにゲストを迎えるというところもこれまでになかったことだ。そして、チョウとスチョリのダブルヴォーカルがいかにもザ・バンドだ。

他にもトム・ウェイツのアクを全て抜き出してあっさりとした、しかしコクのある塩味にまとめたような「あの空は夏の中」やバンジョーとラップッスティールギターがほどよいカントリー風味を醸し出す「黄金のうたたね」、わずか4行の歌詞を繰り返し歌う「ラスト・ショウ」はメンバー全員のコーラスが印象的だ。アルバムを締めくくるのはよもやの「スモール・タウン・トーク」。蓄音機から流れてくるような音色で、テンポもぐっと落としてじっくり聴かせてくれる。ラグタイムっぽい間奏も必聴だ。全曲完成度は高い。第二期に差し掛かったのは言うまでもない。

が、しかし、である。

ラリーパパのスタジオ・レコーディング・アルバムとしてはタイトル通りこれで最後となった。dreamsvilleから発表したアルバムとしても最後であった。本人たちの思惑はどうだったのだろうか。本当にそういう意味でこういうタイトルを考えていたのだろうか。それではあまりにも切ないが...。次作は翌年。公開録音を行ったパフォーマンスを収めた傑作ライヴ盤を彼らのレーベル、シティ・ミュージックを復活させ、発表した。そのライヴ盤はシリーズの意図からはずれてしまうが、次回じっくりと紹介し、「我が心のdreamsvilleシリーズ」を締めくくりたいと思う。