■スチョリ vs ヒョンレ at京都SOLE CAFE 2009.09.26.■


それぞれの道を歩み始めたふたりの歌い手がいる
ひとりは美しいピアノに流麗な歌を紡いでいる
もうひとりは酒をあおりながら
思い向くままにギターをかき鳴らし叫んでいる


その昔
彼らはひとつのバンドの血であり肉であった
たった4年前のことなのに
とても遠い昔のような気がする


僕はこの日を待ち望んでいたんだ
スチョリとヒョンレの歌声が交わる瞬間が
この上なく好きだった
その瞬間はとてもマジカルで
例えるなら
ジョンとポールのそれに似ているかもしれない


誰かの夢の続きだった
しかしあの日から
いよいよ新しい幕が上がり始めた

bannai452009-09-03

■One Summer Day / Peter Gallway (1976)■
リネン素材のシャツと
淡いベージュのコットンパンツに
履き慣れたトップサイダーのデッキシューズ
それと愛用のアコースティックギター
白のワーゲンに乗り、フリーウェイを走る
日はまだ昇ったばかりで
空気が、光が、瑞々しい
あれは1976年の夏だった

good time music .com 145号

bannai452009-08-19

■Closing Time / Tom Waits (1973)■
音の無い雨が降る夜
公園通り 午前2時
木製のドア いびつなテーブル
薄暗い灯り ごうごうと唸る冷房装置
雨の匂いと甘美なワイン
煙草の煙が奇妙な弧を描く


そろそろ閉店の時間なんだ
男はぼそぼそとつぶやいている

bannai452009-08-07

■Hot And Sweet / Mighty Sparrow (1974)■
キンキンに冷えたビールを
ゴクゴクと喉を鳴らして飲む
あるいは真っ黒な夜空を色鮮やかに染める
花火をうちわ片手に川沿いで見上げる
おやおや、夏の楽しみ方をもうひとつ忘れちゃいないか
そうさ、マイティ・スパロウさ
粘っこい熱風のようなスパロウに
夏を任せようじゃないか

bannai452009-07-31

■みやこ音楽 / V.A. (2006)■
和歌山で生まれ育ち、その後大阪へ出てきた僕にとって京都はそれほど縁がある土地ではない。兄が学生時代を京都で過ごしていたから一人暮らしのマンションへよく行ったものだが、京都という街にいまひとつピンと来なかった。それは今もそんなに変わるものでもない。どちらかというと苦手な街かもしれない。好むと好まざるとに関わらず、肌に合うか合わないかというどうしようもなく覆しようのない感覚がある。

京都生まれの音楽。つまり、くるり岸田繁がいうところの「みやこ音楽」という実態がないようである(あるいは実態があるようでない)。京の都の文化と伝統と歴史と空気とが内包された、このある意味では特異な音楽は僕にとってつかみどころがない。少なくとも僕にとってである。

初期の風博士を聴きたくてこの『みやこ音楽』を手に取った。最近は専ら風博士に浸る毎日で、現存する音源は全て聴きたいという欲求に苛まれてしまっている。収集癖が暴走しているのだろう。一歩ひいて客観的に且つ冷静にそう思えるだけでも大した進歩かもしれないが。

風博士の楽曲は「シャボン玉飛ばない」が収録されているのだが、これが実に青臭い。愛おしいほどの青臭さ。現在の風博士は杉山拓のソロユニットだが、ここに収録されているのはバンド時代、2004年の録音のものである。『グッバイラヴタウン』に収録されている同曲とを聴き比べると、向かっている方向が違うことがよくわかる。

そして、その方向の行き先のことを思う。初期の風博士は「みやこ」へ向かっていたのだろう、と。到着先が「みやこ」だったのだろう、と。ソロとなった風博士は「さよなら、愛しき街よ」と別れを告げている。つまり「みやこへの別れ」だ。別れを告げた現在の風博士には「みやこ」は出発点であった、と。

bannai452009-07-25

■グッバイラヴタウン / 風博士 (2008)■
僕たちを含めて10数人の客席
中崎町のR cafe
2階の小さな空間に
大柄の風博士が現れた
白いギターを抱えて


透き通る歌
小粋に跳ねるギター
あるいは洒脱なコード進行
その全てを全身で受け止める


街は祭りの夜
ざわざわと得体の知れない
黒い塊が街のあちこちに充満している
祭り囃子と風の歌
その夜 僕たちは風にさらわれた
そして 風の歌を聴いていた